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日航機墜落事故の生存者(川上慶子 落合由美 吉崎博子 吉崎美紀子)のその後や現在と原因に迫る!

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1985年8月12日に

『日本航空JAL123便墜落事故』

というとんでもない事故が起きました。

私は20代ということもあり

もちろん当時のことは知りませんが、

決して風化させてはいけない事件なので

今回は取り上げていきますね。

日航機墜落事故の概要

日本航空123便墜落事故(にほんこうくう123びんついらくじこ)は、1985年(昭和60年)8月12日、東京(羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、機体記号JA8119、製造番号20783[1])が、 ボーイング社の不適切な修理が原因とされる後部圧力隔壁の破損により、垂直尾翼と補助動力装置が破損し油圧操縦システムも全喪失、結果迷走飛行へ陥った末に群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落し、単独機で史上最悪の航空事故で、史上最悪の墜落事故である。

引用元 : Wikipedia

日付をご覧になって頂いてもわかるように

お盆シーズンで帰省なども被っていて

ほぼ満席だったんです。

搭乗していた524人のうち

520人が犠牲者となってしまい、

生存者はわずか4人だけでした。

犠牲者は日本国内で発生した航空機事故の中で

現在最多となっており、

単独機の航空事故や墜落事故でも世界最多で

史上最悪の航空機事故となりました。

犠牲者の中には多数の著名人がおり、

  • 歌手の坂本九
  • 元宝塚歌劇団の北原遥子
  • 阪神タイガース社長の中埜肇
  • ハウス食品社長の浦上郁夫
  • コピーライターの藤島克彦
  • 作家の緋本こりん

このように多くの著名人も

犠牲となってしまいました。

ボーイング社の不適切な修理のための

後部圧力隔壁の破損が原因とされていますが、

これで公式な調査は終了しており

遺族から再調査を求められていますが

現在までに再調査は行われていません。

日航機墜落事故の生存者のその後と現在は?

わずか4人の生存者のその後と

現在の様子をお伝えします。

川上慶子さん

事件当時は12歳。

当時ヘリコプターで救助される姿が

印象的だったとのことです。

この経験を後の阪神淡路大震災で生かして

けが人の手当てや救護をしたりと

大活躍をされたそうです。

スキューバダイビングが趣味で

2002年にアメリカで運命の出会いをして

国際結婚をして幸せに暮らしています。

当時の事故の影響も大きくて

飛行機には数年間は乗れなかったそうですが、

今は飛行機にも乗れるようになったそうです。

このまま幸せに暮らしてほしいですね。

落合由美さん

当時はアシスタントパーサーをしており

航空機に搭乗していたとのこと。

詳細な年齢などは不明ですが、

今は定年なさっているそうです。

現在どうしているかは不明ですが、

ネット上の情報では主婦をしており

普通に生活をしているそうです。

吉崎博子さん・吉崎美紀子さん親子

吉崎博子さんは当時34歳で、

吉崎美紀子さんは当時8歳でした。

骨折をしたり犠牲にはならなかったものの

ひどい状態だったそうです。

それでもその後は今まで通りに

都内で暮らしているとのことです。

生存者が4人という中で

親子が2人共犠牲にならなかったのは

本当に奇跡的なことでしょうから、

これからも幸せに暮らしてほしいです。

まとめ

私自身は当時のことは知らずに

今改めてこうやって真相を知りましたが、

こんなことは二度と起きないように

航空会社にも注意してほしいですね。

「ボーイング社の不適切な修理のための

後部圧力隔壁の破損が原因」

とされていますけど、

詳しいことは不明のままです。

私個人も飛行機は怖いイメージがありますが、

私たち搭乗する側の人たちは

航空機での事故は何もできないので、

より一層安全面に配慮をしてもらって

楽しいフライトをしたいですね。

この事件に関してはまだまだ次回も

詳細を書いていきますね。

【追記】

記事を更新しました。